寺島さん
まだ子供が居らず、夫と2人きりの日々を過ごしていた結婚当初、私は朝の6時から働いている日もあれば、夜中の2時まで働いている日もあった。
コンビニ店長の重要な仕事に
シフトを埋める
というものがある。
なにしろコンビニは、24時間常に店員を置いておかないとならない。
これがなかなか難しい。
従業員さんには従業員さんの都合があって、その店舗によって違いはあるが、うちの場合は
「◯日にお休み下さい」
という人が、1か月に数人(数日)、必ずいるのである。
ということは、本来その人が入っていたはずの時間に穴が出来るのだ。
他の従業員さんが
「あ、じゃあ私そこに入ります!」
と、うまい具合に穴を埋めてくれることなどめったにない。
こちらからお願いして、埋めてくれる確率も五分五分といったところか。
なぜなら、他の従業員さんにも都合があるからだ。
そして当時、私も
他の人にお願いしても入ってくれるか分からないし、人件費の節約にもなるし、自分で入ればいいや
という考えであった。
(ちなみに子育て中の今は、なにがなんでも必死にシフトを埋めている)
そのため、不規則で変則な働き方は日常茶飯事であり、週休2日の8時間労働など、夢のまた夢。
世の中の休日や祝日は、私にとって朝から晩まで働く日であった。(子育て中のママさんパートや、おばちゃんパートたちは休日には休みがち)
そんなこんなの日々だったので、農業まで手伝うなど毛頭考えてはいなかった。
たまーに時間が空いたら、家で出来る選果の作業に気まぐれにちょこちょこっと手を出したりしていたが、手伝ううちにも入らない程の頻度であった。
夫も夫で、私に「手伝ってほしい」とは口に出したこともなかった。
彼は普段、寺島さん(当時66歳・女性)と作業をしていた。
寺島さんは夫の母(私にとってはお義母さん)のお友達であり、忙しい時期に入ると安い日給でお手伝い?働き?に来てくれ、閑散期に入るとお休みしてくれる、という最高のおばちゃんなのだ。
非常に気の良い、明るいおばちゃんを夫も気に入っており、もう何年も一緒にやっていた。
結婚しても、子供が産まれても、変わらず一緒にやってくれていた。
そして、この寺島さんこそが、
私が四足の草鞋を履くことになる理由を語る上でのキーパーソンとなるのだ。
終わりの無い家事業
ざっと簡単に私の日常を紹介するとしたら、
週の半分は夫のトマト作りを手伝い、
残りの半分はコンビニで店長をやっている。
そして合間合間の時間は全て、子育てと家事に追われている。
こんな状況になっている経緯なのだが、実に単純である。
元々何年も前からコンビニの店長をやっていた。
これがまた、いわゆる“雇われ店長”ではなく、チーフと共にお店を立ち上げた、共同経営者としての店長だ。
そのため、簡単には辞められない。
(今のところ特に辞めたいと思っているわけでも無い)
そしてトマト農家である夫と結婚。
そして数年後、子供が産まれる。
これで
子育てをしながらコンビニ店長をしている農家の嫁
が出来上がりである。
が、しかし嫁に行ったからといって、私は夫の仕事の手伝いは一切しなかった。
コンビニの店長は意外と忙しい。
そのため結婚する前から「私はあなたの仕事は一緒には出来ない」と明確に宣言していた。
それを夫も理解してくれていた。
よって、当時は
“夫の仕事”
“私の仕事”
を明確に分けていたため、この時点ではまだ、私は二足の草鞋しか履いていなかった。
子供が産まれる前は朝から晩までコンビニ店長。
子供が産まれてからは産休&育休に入っていたから、子育て。
そこに常にいつ何時も付き纏う、家事業をプラスして、二足だ。
ちなみに昔も今も、家事負担は
私7:3夫
くらいである。
子供が大きくなり保育園に行き出してからは育休から復帰し、
コンビニ店長+子育て+家事
の三足。
そこから数年後、そこに
農業
が追加され、現在に至る。
ずっと
「私は私で仕事が忙しいですから、そちらはそちらで頑張って下さい」
スタンスを貫いていた私が、なぜ農業に手を出し始めたのか…
また詳しい話は後述したいと思う。
とりあえず今回言いたいことは、
家事負担を5:5にしろ
である。
四足の草鞋
農業(見習い)
某コンビニの店長
母親業
家事業
上記が私が履いている、四足の草鞋である。
おひとり様時間など、微塵もとれない日々を過ごしているわけなのだが、ここに
ブロガー
という、もう一つの草鞋を増設しようというのだから恐ろしい。
いや、
ブロガー(目指し中)
としよう。
ブロガーたるもの毎日ブログを更新し、日々起こるあんなことやこんなことについて書き綴っていくものだと思うのだが、なにしろ私には時間が無い。
また、そのような気力が残っている日もほぼ無い。
よって、ブロガーになれる自信も無い。
しかし、何事も挑戦である。
“農家兼コンビニ店長”とは、なかなかない肩書きなのではないか、と、ふと思い、ぜひともこの珍しい日々を色々な人に知ってほしいと思ったこの日、初めてのブログを始めてみようと思う。